国士、松井一郎市長へ捧げる

かつて『国士』と呼ばれる人がいた

 

司馬遼太郎

 

と言う。

 

日本の歴史を紡ぎ、日本の人の生き様を描き、そして日本の未来の行く末を照らして見せた、そんな思想家だった。

日本が生んだ最高の歴史小説だった。

 

彼は日本人に希望を見ようとした。

日本人に希望を与えようとした。

日本人に道を指し示そうとした。

なぜか?

日本人を愛していたから。勿論。

日本の歴史に誇りを持っていたから。勿論、そう。

 

ただ一つ、違う点がある。

彼は自分の運命と闘っていた。

自分の中の、絶望と闘っていた。

自分の中の、孤独と闘っていた。

彼には闘わなければ、これから日本がどういった運命を辿るのかが見えていた。

 

そして1996年に73歳で亡くなるまで、数多くの歴史小説を世に送り出し、東大阪市の自宅で息を引き取った。

彼は大阪を愛し、大阪で作品を作り続けた。

その作風の基調低音には、高貴なる精神、利他の精神への賛美の音がする。

学問を愛し、他者を労わり、自立した、個人の凛とした精神。

司馬遼太郎さんは大阪の風景の中にこそ、日本が失ったそんな可能性を見出していたように思える。

 

 

司馬遼太郎さんだけではない。

 

大阪には、無名の国士がいる。

 

市井の中で生活を送る、名もなき国士がいる。

 

決して雄弁ではなく、語るべき何物も持たないかに見える国士がいる。

 

彼等は行動で語る。姿勢で語る。

彼等の胸の底は静かだが、熱く煮えたぎるマグマのように燃えている。

 

冷たい国士など、存在しない。

たとえそう見えたとしても。

彼等の胸のうちには、今にも溢れそうな程、愛が満ちている。勇気が満ちている。

 

 

大阪を前へ進める、と。

そう決意したお二人の目には、司馬遼太郎さんの目にした景色がきっと映っていた。

凛とした、慈愛と勇気と知性に満ちた日本人。

そして大阪が、それを取り戻すと。

取り戻さなければ、日本は滅びると。

 

 

そして月日は流れ、多くの事は成し遂げられ、いくつかの事は堰き止められた。

 

人は老い、疲れ、また挫折に破れ、希望は打ち砕かれる。これもまた、摂理

 

そう、摂理。

 

 

司馬遼太郎さんは、何と闘っていたのか。

暗闇の中に火を灯すべく、始めからたった一人で闘っていた。。

 

火を灯す者がいれば、それに続く者がいる。

 

 

松井一郎市長。

あなたの灯した道筋に、今は多くの人達が続いております。

そしてまた、我々は次の人達がその灯りを道標と出来るように、この暗闇の中をたった一人だとしても、必ず燦々と輝く灯火をここ大阪の地に灯して見せます。

 

国士、と呼ばせて下さい。

あなたの残した道程が、我々にそう呼ばせるのです。

どうか、この先も見守っていて下さい。

この大阪を前へ進める、アナタに続く者達の闘いと祈りを。

 

そしていつか、この長い旅路の果てに、私の好きなONEPIECEから、こう言いたいです。

 

人の夢は終わらねえ

 

と。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまでお読み頂き有難うございました☺️